2011年・南三陸

聞こえるのは風と重機の音だけ

2011年11月初旬、奥松島と南三陸に行って来ました。このページは南三陸を訪れた時のご報告で、「2011年・東松島」の続きになります。

南三陸ホテル観洋

東松島地区を後にし、本日の宿泊地である南三陸を目指して再び三陸自動車道を北上します。空の青と周囲の樹々が美しいです。

途中、道の駅津山で休憩し、いよいよ南三陸地区へ入ります。並走するJR気仙沼線の線路がめくれ上がり、枕木が見えています。

本日お世話になる、南三陸ホテル観洋さんです。このホテル自体が津波の被害を受けたにもかかわらず、被災者の受け入れや復旧工事関係者やボランティア活動を支えてきたそうで、いわば地域の精神的な拠り所といったところでしょうか。こちらの記事にあるホテル観洋の女将さんの「物見遊山でもいいから来て欲しい」という言葉を読んだことが、被災地を訪問する後押しとなりました。実際に宿泊してみて、ホテルのすぐ外にある破壊的な状況を全く感じさせない、別世界のように保たれた館内のクオリティとスタッフの対応に感心させられました。どんな状況下でもホテルとしての使命を全うしようとする凄味を感じました。

泊まる部屋の窓のすぐ外で、カモメたちが歓迎してくれます。いや、本当はこちらに興味はなさそうです。

おいしい夕食をいただき、海が見える露天風呂で温まりました。その後、売店でお土産を買いまくります。「かもめの巣だち」とか。そして早めの就寝です。

写真は翌朝、ホテルから見えた美しい朝日です。

あまりの荘厳さに声が出ません。

朝食も終わり、ホテルをチェックアウトします。今日はこれから南三陸町の中心部へ向かいます。部屋の窓からカモメが見送ってくれました。本当は伸びをしただけです。

ホテルのロビーから南三陸町の中心部が遠くに見えました。今日も天気は快晴、空も海も青いです。

南三陸ホテル観洋さん。お世話になりました。

南三陸町

ホテルが建っていた高台から、標高の低い町の中心部に向かって東浜街道を走ります。途中、営業を再開していた「さかなのみうら」さんでストラップを購入。坂を下りきると、大きく傾いた建物が次々に現れました。

新しく架けなおされた橋を渡っていると、いきなり激しく破壊された建物が目に飛び込んできました。海のすぐ近くに建つこの建物は、最上階の窓まで残らず損傷しています。

橋を渡るといよいよ南三陸町の中心部に入ります。道路は綺麗に片付けられていますが、その両脇は土とガレキでした。ポツポツと大きめな建物が残っているのが見えてきます。南三陸警察署の建物も損壊していました。

車を停めて周囲を見渡します。志津川病院の西隣から北を見ています。青い空の下に広がる荒涼とした大地。ここでも静けさの中、復旧作業の重機とトラックだけが動いています。足元にはガレキに混じってカキなどの貝殻が散らばっていました

志津川病院です。こちらでも多くの方が亡くなったそうです。これほどまでに破壊されてなお、執念で立ち続けているようにも見えます。

車の上にかかっているのはJR気仙沼線の高架だった部分でしょうか。この部分の前後は土台ごと無くなっていました。

町を歩いて

余りにも有名になってしまった、南三陸町の防災対策庁舎です。災害に備えて建てられたこの建物は、あの日津波に屋上まで飲み込まれてしまい、赤い骨組みだけが残りました。そしてその向こうには見渡すかぎりの荒野が広がります。この建物の前で、地元のボランティアらしき方が、訪れた団体さんを相手に色々なお話をされていました

防災対策庁舎の周囲を歩くと、ここに人々の営みがったことを示す多くの品が目に入ります。写真の計算機は電源が入りませんでした。この記事をはじめ、この地で起きた悲しい出来事については多くの報道がなされています。

庁舎には多くの人が次々と車で訪れます。中にはマイクロバスで来る方たちもいました。ただ、ほとんどの方は写真を撮るとすぐに車で去ってしまい、気づくと周囲を見てまわっていたのは我々と外国人の撮影クルーらしき方たちだけでした。

町を歩いて回ると、同じように骨組みだけになった建物がいくつかありました。そんな中にコイン式の洗車施設もありました。

昨日の野蒜駅と同じく、悲しいほど美しい空が広がっています。無言でかつて人々が暮らしていた町を歩いて行くと、ピンク色のノボリがはためくプレハブがありました。見渡すかぎり荒野となったこの町で、力強く営業を続けている「ちばのり店」さんでした。

こちらのお店についてはこの記事を読んで、ぜひ寄りたいと考えていました。さっそくお土産用に「さらっとしおのり」を買い込みます。海苔なのでたくさん買っても重くないのが素晴らしい。この海苔、後日自宅で食べましたがとんでもなくに美味しいです。電話で注文できるようですので、みなさんも買うように。

どこかでお供えの花を購入できないかと「ちばのり店」さんに伺ったところ、少し離れたところで同じようにプレハブにて営業しているフルーツ屋さんにあると教えていただけました。さっそくフルーツ屋さんに向かいます。あの小さい建物がそうですね。

たくさんのフルーツと共に、花も売られていました。これで失礼ながら手ぶらで来た我々も献花ができます。有難い事です。それにしても小さいお店なのに予想以上の種類が売られていました。ここにも力強い風景がありました。

小さなフルーツ屋さんで買い物を済ませると、目の前の駐車場に船が。非日常の風景が日常です。

花を手に防災対策庁舎へ戻って来ました。献花し黙祷。建物の東側を流れる川面を見ると、そのあまりの近さに驚きます。地盤が沈下したのでしょうか。

防災対策庁舎の脇に止まるパトカー。全国各地からパトカーが派遣され、こうして常にパトロールをしてくださっているようです。このパトカーは神奈川県警でした。

再び周囲を歩いてみます。建物が流され土台だけが残っています。点字ブロックとスロープが見えるので医院などがあったのでしょうか。

自動車が集められていました。どの車もグニャグニャになっており、津波の威力がうかがい知れます。冷静に考えるとすごい光景なのですが、ここでは当たり前になってしまっています。

そしてその脇にはキッチン量りが。セキセイインコの体重計を思い浮かべてしまい心がチリチリします。

JR志津川駅

車で少し移動し、JR志津川駅に来てみました。ここが駅前広場です。高架を支える土台や強固な構造以外は流されてしまったようです。広場周囲は綺麗に片付けられ、復興資材が積まれていました。こちらのブログ記事を見ると、被災前の志津川駅の様子が良くわかります。

線路の下をくぐりホームへと通じる構造は残っています。崩れそうな雰囲気は感じられませんので、中に入って見ることにします。

手すりが曲がっていますが、階段もそのまま残っています。階段両脇の排水溝には土が溜まり、そこから雑草が生えていました。

階段を登りホームへ出ます。ホーム上のアスファルトが剥がれ、そこに乾いた泥が積もっています。ホームも所々に雑草が生えていました。

ホームを歩いてみます。町を歩いていた時より風を強く感じます。線路は全く残っていませんでした。3月13日の写真を見ると線路は流されていないようですので、撤去されたものと思われます。

ふと町の中心部に目を向けると、何も無くなってしまった駅前広場の向こうに防災対策庁舎や志津川病院が見えます。その先の海までが見えてしまっています。海のすぐ近くということを再認識させられます。

南三陸町を襲った津波の映像を見ると、この気仙沼線の土台部分がまるで土手のように津波を阻み、その進行を僅かでですが遅らせる役割を果たしたかのようにも思えます。その僅かな時間で助かった方もいたかもしれません。ずっとこの場所に留まりたかったのですが、帰るべき時間が迫って来ました。南三陸町の人々が利用したこの駅に再び列車がやってくる日を思い浮かべつつ階段を降ります。

駅前の広場に戻ると、そこには赤いランドセルが置かれていました。誰のもので、誰がここに置いたのか…。胸がつまります。

帰途へ

本当は気仙沼も訪れたかったのですが、やはり時間が全く足りませんでした。仙台へ戻るため車を走らせます。南三陸町の中心部を抜けると上り坂のたもとに「津波浸水想定区域ここまで」の看板が。

帰り道の途中にある陸前横山駅に寄ってみました。駅前の時刻表には、代行バスの案内が貼られていました。高いところにある駅なので階段を登ってホームに出ます。このあたりは土地自体の標高が高く、津波の影響はなかったようです。とても静かな集落でした。気仙沼線は運休中なので列車はやって来ません。当然ながら駅には誰もいませんでした。

線路は赤く錆びています。ホームからは建てられたばかりの仮設住宅と思わしき建物も見えました。

行きにも寄った「道の駅津山」に再びやってきました。木工製品が地域の特産とのことで売り場には木の良い匂いが充満していました。ここで買い食いをして一息入れます。

三陸自動車道を経て仙台まで一気に戻ります。レンタカーを返却し、仙台駅に入ると何やらコンサートイベントが行われていました。ここまで来ると、風の音だけが聞こえていた南三陸町に先ほどまでいたのが不思議な感じです。

定刻通り入線してくる「はやて」。これに乗れば我が家の近くまで連れていってもらえる──“鉄路で結ばれている”という感覚が精神にもたらす安定感は非常に大きなものがあると思います。やはり現在運休中の各線の早い復旧が望まれます。

後は乗っているだけで新幹線が我々を目的地まで運んでくれます。駅弁を食べつつ帰途につきました。既に暗くなった車窓から外を見ていても、各地で目にした光景が脳裏に浮かんでは消えます。

旅を終えて

当初は時間があれば気仙沼まで行きたいと目論んでいましたが、やはり時間が足りませんでした。自宅でハナ太郎が留守番をしているので、一泊二日が限界です。

それでも有意義な旅となりました。自分の目で見ることができて良かったです。今回訪ねた場所も、今回行け無けなかった気仙沼も、そしてまだ見ぬ他の土地にも、又の機会に足を運びたいです。

今回の旅では400枚ほど写真を撮りましたが、後から見返すと全く足りません。あれもこれも、撮っておけばよかったというものばかりです。

補足